『天龍源一郎』

天龍源一郎

天龍源一郎


 昨日歩いて五分の高円寺図書館に行った時。ふと気になってスポーツ新聞の棚から一昨日の号を引き抜き開いてみると、その前日に行われた『ハッスル』の試合結果が。



「元巨人のクロマティ勝利!」の大見出しの左下に「HG、天龍に勝利」とある。 凡そ予想はしていたがやっぱり天龍源一郎は負けてしまったんだなァと、心の中で溜息をついた。『ハッスル』に真剣勝負を求めている人は一人もいない。「ヤラセ」なのは先刻ご承知、レスラーも客も「踊る阿呆に観る阿呆」状態である。しかしそれでも相撲時代から合わせて格闘技生活44年、「ミスタープロレス」と呼ばれプロレスラー業界の大御所として多くの人が認める天龍が、プロレスラーではない「芸人」に負けてしまったという結果は、「記録」として残る。この事実は重い。


 プロレスラーは基本的にエゴイストである。所詮自分が目立ってナンボの世界だし、実際アントニオ猪木を初めとする究極のエゴイストたちがリングで、そしてリング外でも闘い続けてきた。それは欲望に溢れたあまりにも人間臭い世界で、その故にかつて俺はプロレスに熱狂した(90年代後半までは)。


 その魑魅魍魎な世界の中で天龍だけはいつも孤立し醒めていた感じがする。元々は全日本プロレスの三番手(馬場、ジャンボ鶴田に次ぐ)として特に不満もなかった彼が、長州軍団を初めとする新日本プロレスとの対立構造の中いつしかエース・鶴田の対抗馬に奉り上げられ、さらにはバブルなプロレスブームに目をつけた『メガネスーパー』の神輿に乗せられた末、興した団体が呆気なく崩壊すると当時伸び悩んでいた新日エース候補の橋本真也の格好の「噛ませ犬」に仕立て上げられ、とここ10年近く天龍は周囲の状況の赴くまま様々な団体のリングに上がり、プロレス界を漂流し続けている。


 そこには他レスラーの様な「俺が俺が」みたいなエゴイズムはない。請われるまま息子みたいな若手レスラーや女子レスラーとも闘う天龍には、強さとかカッコ良さとは別種の凄みを感じさせるのだ。彼はどんな不遇な立場に立たされても、或いは都合のいい時だけ天龍の名を利用され、結果的に使い捨てみたいに扱われても決して泣き言は言わない。彼はヒーローやカリスマになりきれない自分の器を知っている、否知り過ぎている。


 HG戦の敗北も天龍にとっては馬場をフォールした時、或いは東京ドームで猪木に勝った時と同じく、「一つの仕事をやり遂げただけ」としか認識していないのかも。渋いね。それでも「記録」は残る。血気盛んな若いレスラーの中には結局ピエロじゃん、と心で蔑み笑ってる奴もいるだろう。でも天龍はこれからも黙ってリングに上がり続ける。それが天龍源一郎だから。


 つまり天龍源一郎は「闘い続けるブルース」なのサ。この気持ち判る?


([原達也・Blog]より)


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